絶望からはじまる希望。
昨年は、大げさの様だけれども、ある種、絶望とも言える様な
心境になる時期があった。
そのタイミングと丁度、重なりながらも入れ替わって行く「希望」が
突如現れた。
それは、まさかの「梅林の草刈り仕事」だった。
予想もしていなかった、梅仕事。
それほどまでに気にしてこなかったからこそ、夢中で梅仕事に勤しんだ。
悲劇のヒロインな絶望は、今となっては人生に置いて、大いなる学びの時を
いただいたのだと知る。
梅が希望への道標となってから、意識も嗜好もすっかり、「梅一筋」。
梅干しは去年100キロほど漬けた。
その考える暇もいただけない程、絶望を払拭するかの様に、軒先で梅仕事をしていると
通りすがりの旅行者から、「偉いねえ!そんなたくさんの梅仕事一人で。いいの出来たら
送って下さい」と電話番号を渡される。
断る理由も見つからないまま、今年に入った。
梅を恩人達に送った。日本だけではなく、NYにも。
普通に漬けたと思っていた梅干しが、口うるさい人々からどういう訳か
「どうやって漬けた?」「コツは?」「漬け方を教えてほしい」「菌が調和している」
などなど、思いがけない声が降り注がれた。
正直、何もコツなどないし、こだわりもない。
思うままに梅に夢中になっていただけ。
あまりにも不思議で、あらためて昨年の梅を毎日食べているその梅を
一粒、しっかり感じてみようと口にほうばると、、、、
「すごく美味しい!!!」
これは、もう完全に梅の神様の仕業なのだと、今更ながらにそう思えて来たのです。
身近な事は意外とあたりまえすぎて見えなかったりするのだと。
きっとあの梅林で、自然に素朴に愛され育ってきた梅達の味がコツそのものなのかもしれない。
あの絶望ドラマがあっての梅物語。
これからも長期に続くことでしょう、、、、